【女装人生】55歳までに女性化する
一生は一回しかありません。
40数年間男として生きてきて、社会人をして家に住んで、おいしいごはんを食べて、着たい服を着るのが当たり前と思っていました。
それは普通の人間の話です。
※普通の人間とは、マイノリティを隠して生きていける人間
わたしはAG(オートガイネフィリア)で服装倒錯症、その他障害を持っています。
普通の人間ではありません。
女装のために仕事をして親、友人の前では男として生きてきました。
でも女装はずっと隠してきて中途半端な生き方でした。
男性として社会人失格になったことで、今頃気づきました。
髪型も女装のときはウィッグをかぶって、無理矢理アップにしたりヘアピースを付けたり、夏はウィッグだと暑いので女装は出来なかったりしました。
サラリーマン、会社で働くのが当たり前と思っていましたから、黒髪のサラリーマンカットの会社規約に沿って生きてきました。不適切な髪型にすると会社から注意されます。
しかし、病気になって再就職も全然見つからず、見つかったと思ったら、なぜか怒られストレスでうつ病再発手前まで行くような人間とはっきり分かり、男性での社会人生活に一体何の意味があるのかと気付かされました。
残りの人生、自分らしく生きるため後悔の無いよう女装を謳歌しよう、第二の人生を歩もうと思いました。
やりたいこと
1.髪を伸ばす
近親者にカミングアウトするかはまだ決めていないので、とりあえず肩まで伸ばします。
2.女装でパートをする
今のところ、どこも受け入れる場所が無いので、現実を思い知らされていますが。
3.女性コーラスや社交ダンスなどドレスを着れる習い事を女装でする
4.女装を受け入れてくれるシングルマザーとパートナーになる
LGBTQ当事者で性的趣向は男性でも女性でもないとカムアウトして、子育てを一緒にすることを受け入れてもらえる人にパートナーになってもらう。
5.女装で子育てをする
義母として二人で母親を実現し、子供も女の子ならこういう絵のようになります。
憧れです。
6.着付けの講師を目指す
小学生のころから着付けを自力で覚えたことを、これからの人生に役立てたい。
プロとしてやっていくには、男性の着付師は難しい。
女装だともっと難しいか。いえ、男性として着付師を目指すより良いかもしれません。
夢は女装で女性着物で全日本きもの着付選手権大会で優勝すること。
挿絵1
7.上品なマダム祖母女装しながら生き抜く
死ぬまで男性でも女性でも無いXジェンダーとしてマダム女装を目指します。
グレイヘアの和髪が似合うシニア女装者になりたいです。
挿絵2
存在感のある女装家やドラッグクイーンのような人ではなく
どこにでもいる上品マダムが目標です。自然に祖母女装して生きたいのです。
目標を達成するためには
女性化を目指すには、体重をあと4キロ落とします。
痩せすぎると、女性のように脂肪が無いため、頬がこけ、足や腕がガリガリでなります。
なのでギリギリの体重まで下げます。雑誌の婦人モデルは細さで美しさを出しています。
モデル体型とは縦横比1:0.23とされています。
身長160㎝だと横幅最大は37㎝に抑えないといけません。
またバスト:ウエスト:ウエストは1:0.7:1が美しいようです。
ウエストが65㎝だとバストとヒップが93㎝が理想体型のようです。
このように体型補正をします。
52キロまで落とすと9号を着て、肩の筋肉が出なければ成功です。
スカートのウエストはガバガバなので、ウエストもパッドを付けるようにします。
女性ホルモンをして男性としての精力が落ちないかギリギリを攻めても良いでしょう。
55歳ぐらいにすべての目標を達成していれば、連れ子も入学式や卒業式
お受験、七五三など母親としてのフォーマル女装を綺麗に見えるはずです。
その後60歳前後で子供が結婚してくれれば、念願の黒留袖女装を母親として出席できます。
普通の人間は、夜パートナーと楽しみますが、わたしはアセクシャルですので、
その代わり自分自身で楽しみます。
楽しみ方は人それぞれ。人生一回しかありません。
普通の人間が幸せを追い求めるのと同じようにわたしも幸せを追い求めたいと思います。
今まで男性として40数年生きてきましたが、男性として社会に出ていた時間は
これからの人生の準備でした。
これから10年がとても楽しみです。夢を持って生きられる幸せ。
生活保護一歩手前の人は、希死念慮に襲われますが、幸い女装の目標が永遠続くので、自死を選ぶことはありません。所得に合わせた女装はいくらでも可能です。
それを追い求める充実感は、今までの贅沢な暮らしとか食事とか友達とワイワイすることを軽く凌駕します。
本当に気付くのが遅かったです。
心の中で、妄想で止めていたものをようやく解き放つときが来ました。
何に遠慮していたのでしょうか。男らしく生きろと親に言われて育ってきた呪いが今ようやく解放されます。
子供の頃、貸衣装屋のディスプレイされた訪問着を見て着てみたいと
何回もそこの店を前往復したね。もう堂々と着たいと言えば良いのよ。
婦人靴を親のプレゼントと言って頑張って、声を震えさせながら買って部屋で履いたよね。自分のハイヒールを見に来たと言えば良いのよ。
親が着るからと黒留袖をデパートの呉味の市で68000円で買ってバイトで溜めた給料が一気に飛んだよね。
子供乗せ自転車が欲しいからと廃棄されてたゴミを修理して子供乗せかご取り付けて、パンク治して乗ってたよね。
これから堂々とやっていいんだよ。
貸衣装屋さんで
連れ子が七五三だからわたしの訪問着を借りようと思って来たの。
良い訪問着があれば試着するわと言えばよいのよ。
結婚式場で、パートナーが結婚する決心をしたので、白無垢や色打掛を見に来たといえば良いのよ。
無限に女装でやりたいことが出てきます。
自分らしく出来る範囲で女体化を目指していきたいと思います。
すみません、途中でした
希死念慮 、久しぶりに聞きました。私の場合、死ぬ一歩前まで行ったことがあるのですが、今では死ななくてよかったと思っています。でも、変な妄想癖があって、こんな死に方したいとか妄想にふけることが偶にあります。生き物はいつかは死ぬので、その時が来るまで楽しみましょう!
dress_loveさま
精神科に行かなければ聞くことない言葉ですよね、死んだら女装ができなくなって、親に女装をはっきり確認されてしまうのは無理なので自死することは無いです。親が居なくなれば死に方を考えるかもしれません。でも死んでも良いと思えば思い切った行動が出来ます。